1882年、大隈重信(おおくましげのぶ)が立憲改進党(りっけんかいしんとう)を結成する。
【暗記用俳句】 ♪大隈が 冷やっ(1882)こ食べ 改心と
立憲改進党って、どんな党?
1882年、大隈重信(おおくましげのぶ)がイギリスの議会政治(ぎかいせいじ)をモデルに結成(けっせい)した党。略称は改進党(かいしんとう)。
立憲改進党(しっけんかいしんとう)は、1882年、大隈重信(おおくましげのぶ)がイギリスの議会政治(ぎかいせいじ)をモデルにして、結成(けっせい)した政党(せいとう)である。
立憲改進党(りっけんかいしんとう)は、明治時代の自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)の代表的政党の一つで、1882年から1896年まで存在した。
略称は改進党(かいしんとう)で、初代総理(党首)には大隈重信(おおくましげのぶ)、副総理には河野敏鎌(こうのとがま)が就任(しゅうにん)した。
大隈重信(おおくましげのぶ)はまた、1898年に総理大臣(そうりだいじん)となり、日本初の政党内閣(せいとうないかく)を誕生させた。
立憲改進党の政策と支持基盤は?
立憲改進党(立憲君主制)の趣意書(しゅししょ)に「王室の尊栄(そんえい)と人民の幸福」のために急激な変革(へんかく)を避け漸進的(ぜんしんてき)に改良するとあり、イギリス流の立憲君主政治(りっけんくんしゅせいじ)を目指した党といわれる。
また、急進主義的(きゅうしんしゅぎてき)な自由党に対抗し、漸進主義(ぜんしんしゅぎ)を採ることを標榜(ひょうぼう)し、都市商業資本家・産業資本家・知識人らを支持基盤とした。
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